安楽死と尊厳死※旧ブログ「信仰は自分自身が教祖様」より引用⇓安楽死と尊厳死は混同されがちで同一の意味合いをもつ死に方だと思われていますが、その全貌は全く異なります。【安楽死】安楽死は、死期が迫り苦痛にあえいでいる者に対し、苦しみから逃れるために医師あるいは個人が直接薬物を用いて死を早める行為をさします。別名「積極的安楽死」とも呼ばれます。日本では殺人罪となるため法律で禁止されています。しかしスイスやオランダ、カナダ、オーストラリアなど一部の国々では合法化されているようです。【尊厳死】尊厳死は、回復の見込みがない患者に対して、人工呼吸器や胃婁などの生命維持装置を外し、人工的な延命措置を中止して寿命が尽きるのを自然に待つ死に方をさします。尊厳死は「自然死」と言ってもよいほど平穏な死を迎えます。別名「消極的安楽死」とも呼びます。2025.04.27 03:00
わたくしどもは。●映画紹介”心中”した男女がこの世とあの世の狭間で再び出会う物語。この世とあの世の狭間はスピリチュアルで言うところの「幽現界」にあたります。幽現界はこの世と瓜二つの世界。ほぼこの世。50日間をここで過ごし、迷いや心配事、執着、心残りなどを完全に払拭すれば50日丁度で死後の世界である「幽界」へと自然移行します。微細でも気にかかることがあると、50日経過後も幽現界を彷徨い「幽霊」と化します。撮影地は佐渡島。金山、森林、トンネル、廃墟、無機質な部屋、能の舞い。どのシーンも現実離れした不思議で幻想的な感覚を覚えました。メインキャストの男女(松田龍平・小松菜奈)には終始空虚感を感じ、死んだ人間が放つ特有の雰囲気を醸し出していました。疑似体験とまではいきませんが、私たち人間が死んだ後どのような状況になるのか、それを少し知り得る霊妙な作品。2025.04.01 12:30
読んでほしい漫画家畜が置かれている悲惨な現状を知ることができる漫画。ビーガンのこと。環境のこと。栄養や医学のことも学べます。やや目を背けたくなる描写もありましたが、これが現実。真向と向き合い国民は真実を知るべきです。「私は2016年より肉食をやめていましたが、この漫画を機に卵・乳製品・魚もやめようと決心いたしました」2025.02.07 11:45
幽界~下層部と上層部の様子~《※旧ブログの記事》人間は死後、幽現界(この世とあの世の狭間)に約50日留まります。その後、幽界⇒霊界⇒神界の順に覚醒した魂から移行していきます。ここでは幽界の様子を下層部と上層部の二極に分けて綴ります。ただ実際の幽界の層は無数にあり、その模様は千差万別。よく死後の世界を解説する際に幽界と霊界とで線を引いたように区別した表現をしますが、厳密に言うと幽界は霊界のなかに在る一階層で、それは霊界内の下層階に当たります。死後、幽界のどの階層に行くかは「生前の心の在り方や行い」によって自然と振り分けられます。ざっくり言うと善人は上層部で悪人は下層部。(どっちつかずの魂は間の中層部へ行く)2025.01.22 14:25
日本の家畜の現状【鶏】日本の鶏たちは超過密飼育。羽を広げることも動き回ることもできないほど。下は金網。ですから爪は伸び放題。巻き爪となりそれがひっかかる。抜こうとジタバタとして、その結果脱臼と骨折を繰り返します。毎年殺される肉用鶏は724億羽。狂ってます。屠殺の際、日本は意識のあるまま行うのです。逆さづりにして頸動脈を切り失血死。苦しみぬいた末に亡くなります。海外では首を切る前に気絶させるのですが、本国は異様なので拷問の末に殺めます。虫唾が走る卵用の鶏は1、2年卵を産んだ後、殺されます。この国には規制がないので狭い空間に収容され身体はボロボロ。他の鶏たちとギュウギュウ詰めの中でトイレや食事をして、病気になっても放置。そこで一生を終えるのです。2025.01.04 04:00
お墓と骨には無関心でお墓の形態と骨の散骨方法に拘りを持つ人が多々いますが、そんなものはどうでも良いのです。いくら豪華で納得いく墓石を建てても、それをあの世に持ち運べるわけではありません。死後の住処はお墓ではなく幽界と霊界。墓石内で暮らすことは不可能。お墓に拘りや執着を持っても無意味なのです。自己満足で完結してそれで終わり。特殊な墓石はお金がかかるものですし、他よりもグレードが良いからといって魂が成長するわけでも、天国へ行けるわけでもありません。お墓があってもなくても死後の行く末を理解していれば、誰もが皆一様に然るべき世界へ移行できるのです。2024.11.30 18:55
木霊全ての樹木には人間と同じように【霊魂】が宿っています。そんな木々たちを手前勝手な都合で伐採した日には、因果応報、それなりの災いが降りかかります。街を見渡してみましょう。・開発が進むコンクリートジャングルの都市部に不自然に屹立する大木。・死角となり事故の要因にもなりかねないのに車道ど真ん中にそびえ立つ大木。・日光を遮り景観を損ねるのに伐採しない太古から佇む庭の大木。「なぜこんな所に? 邪魔になる!」という切ったほうがいいと思う木々が全国各地には数多存在しています。それらは過去に実際切ろうとしたとき何か起きたから、今もなお手つかずのまま放置されていることが多いのです。触らぬ神に祟りなし。大層な理由もないのに利己的に森林破壊をすべきではありません。2024.11.21 14:05