お墓と骨には無関心で

お墓の形態と骨の散骨方法に拘りを持つ人が多々いますが、そんなものはどうでも良いのです。


いくら豪華で納得いく墓石を建てても、それをあの世に持ち運べるわけではありません。

死後の住処はお墓ではなく幽界と霊界。墓石内で暮らすことは不可能。

お墓に拘りや執着を持っても無意味なのです。自己満足で完結してそれで終わり。

特殊な墓石はお金がかかるものですし、他よりもグレードが良いからといって魂が成長するわけでも、天国へ行けるわけでもありません。

お墓があってもなくても死後の行く末を理解していれば、誰もが皆一様に然るべき世界へ移行できるのです。


散骨では「故郷の海へ撒いてほしい」「思い入れのある山で散骨を」など、人によって希望があるようですが、魂が抜けた骨はただのカルシウムの塊。

執着を抱いてご丁寧に扱うのはお門違いです。

チリ紙と一緒に部屋のゴミ箱へ入れる。それくらいの感覚で良いのです。そこには既に魂がないのですから。

希望の場所へ撒いたところでお墓と同様、魂が急激にレベルアップしたり、あちらの世界で厚遇され極楽浄土で生活できるわけではありません。


墓石も骨もこの世に残るただの物質。

高貴なものではありません。執着も思い入れも抱くべきではないのです。

自己が死を迎えた後、この世に残された人や物への気持ちを携帯していると浄化の弊害となります。

進化と幸福のため森羅万象の全てをキレイサッパリ忘れ、濁りのない透き通ったクリアな状態で神の元へと帰還しましょう。

続・信仰は自分自身が教祖様

【スピリチュアリズム普及ブログ】 内垣潤哉

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